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2009年12月

感謝

 
 
 
何のあてもないまま、電車に乗る。
寒さのせいで、感覚は鈍りきっている。
窓の外は真っ暗。暖房とアナウンス。
それでも向かう。誰も待っていないのに。
それでも、どうしても、皮膚に沁みさせなくてはならない。感謝が必要なのだ。
 
 
 


ビニール袋

 
 
 
オハナシからオハナシへ。河原の石を渡るように自分の時間を紡いでゆく。
時折視界に入るビニール袋のことは気にしないように。

あの中には何も入っていない。当然知ってる。あのビニール袋は僕のものだ。

オハナシからオハナシへ。
視界の隅。いくら風が吹いてもビニール袋はそこから動かない。決して視界から消えてくれない。
 
 
 


儚げ

 
 
 
細い電信柱にピラピラしたビニール紐が結わえ付けられていて、風もないのに揺れている。
どうして、あれは揺れているのか。
通りがかりに見たそれはあまりにも頼りなく儚げで、数秒間頭の中を通過してから、すぐにどこかへ消えてしまった。
 
 
 


清潔な冗談

 
 
 
その冗談は、シミや汚れが一切無い、とても清潔なものだった。

笑い声の向こうに潜む憐憫が見える。
笑う者の優越。その根拠になるのは自らの皮膚、その表と裏にあるシミや汚れの存在だった。

その清潔な冗談はいつまでも、暖かく受け入れられ続ける。
大して面白くない。それがどうした。
皆、本能に近いところで、その清潔な冗談を保護しようとする。
やがてその冗談にシミが付き、老ねた匂いを放つ時、笑い声たちはため息をついてから改めてもう一度笑い、それから、次の清潔な冗談を求めて歩き始める。

歩く集団の中には、かつての清潔な冗談の主もまざっている。
 
 
 


モニターと靴紐

 
 
 
その目で見ているのはモニターだ。
今見るべきは足下の靴。そのほどけた紐だ。きっとそれに気付くのは数年後だろう。

そんなことを思う。モニターを見ながら思う。足下の靴紐はやはりほどけている。
 
 
 


すり減らす

 
 
 
磁気テープは時間と共にゆっくりとすり減ってゆき、光の円盤へと姿を変えた。

光の円盤は硬く、今度は聴く側がすり減らす番だ。

そう言われ、仕方なく、鼓膜を差し出した。
 
 
 


肌色の人

 
 
 
自由で、明るくて、爽やかな区域。
僕らがそこを歩くときは、いつも雨が降っている。

その区域には、人がたくさんいる。けれど、だれも出身地を教えてくれない。
赤かったり青かったり黄色かったりする人たちの中に、肌色の人がぽつぽつと見える。肌色の人たちはみんな小さくケイレンしていた。

肌色の人たちはみんな共通した雰囲気を持っていて、自由でもなければ、束縛されてもおらず、唯一、曖昧であることだけが、確かなことであるように見えた。
 
 
 


本当の本当

 
 
 
昨夜のピカピカな約束が、たった一晩で重油みたいな色になった。
なんにもしていないのに。ただ寝てただけだけなのに。

窓の隙間から排気ガスの混じった空気が入ってきて、耳の穴に潜り込む。それから思い出す。
「ホント、本当の、本当に、本当だから」
昨夜、たくさん言った。百回は言った。喉が涸れて水飲んで、それからまた百回は言った。
何について言ったのかは、もちろん忘れてしまったけれど。
 
 
 


ソーイング

 
 
 
膜が溶けて、トロトロと言葉が垂れ始める。それは決して言いたかった言葉なんかじゃなくて、だらしのない、言っても言わなくても大差のない、どちらかと言えば要らない言葉たちだった。

それらを使って、編み物を始める。

誰も救わない言葉たちは、寄り集まってもやはり、誰も救えない、頼りない、ただの固まりだった。それでもいいや。嫌になったらまたお湯をかけて溶かしちゃえばいいんだし。
自分の体温。馴れすぎた匂い。無職の惰性で、編み物はどこまでも続く。
 
 
 


祭り囃子

 
 
 
毎日がお祭りみたいな生活を夢想して、それから、今がお祭りの真っ最中だったと気付く。
明日も、明後日もお祭りが続く。終わりの日時は知らされていない。

知らない間にため息をついていた。

はっとして周りを見渡し、旨をなで下ろす。たぶん大丈夫。誰も気付いていない。

さて、早く輪に入らなくては。
忘れちゃいけないのは笑顔。頬を吊り上げて、目を、出来るだけ大きく。笑え。誰にも気付かれてはいけない。
 
 
 


真空

 
 
  
スーツを着て、男性数人で喫茶店に入り、ある人は足を広げ、ある人は足を組む。
だいたい仕事の話をしている。大柄ですごく格好いい。若くはなさそうなのに、肺活量がありそうで、みんな佇まいがパリッとしている。

一瞬、会話が止まった。真空の中、煙草の煙が揺れて、お冷やの氷が音を立てる。

また、すぐに会話は始まった。
たしかに見えた。会話が無い真空の中で、あの人たちは同時に、わずかに、何かに怯えていたのだ。
 
 
 


それは秘密

 
 
 
喜ばせたいのは、喜びかたを知らないからで。

目の前で話している人が、薄目で僕の後ろ側を見ている。何度尋ねても、何を見ていたのか教えてくれない。
 
 
 


攪拌機

 
 
 
よくわかんなくなりたくない。
手を付けたらそうなっちゃうのは分かり切っている。放っとけばいいのに。

今のまま。20パーセントくらいのボカシがかけられたくらいの方が、まだよくわかるのに。

それでもやっちゃうんだろうな。ハッキリさせようとして、意味わかんないまんま、本当にわからなくなるまで、かき回しちゃうんだろうな。

がむしゃらに、入念に、まんべんなく。棄てたくなるまで。
 
 
 


行方不明

 
 
 
舌足らずなまま、ゆっくりと物言いをする。
遊んでる右目で見える景色はフラフラと揺れていて、ひとつめの文節が終わる頃には、何が言いたかったのかすっかり忘れてしまった。
 
 
 


 
 
 
混濁から戻ってくる時は、だいたい雨上がりの水たまりの中にいる。早く水面まで昇らないと。
動きには気をつかう。両手両足をていねいに動かさないと、底に溜まっていた澱が浮き上がってしまうのだ。
毎回失敗する。混濁の底にある澱は水中に舞い上がり、僕はそれを全身の皮膚に張り付けながら、複雑な気分で水面に顔を出す。そしてだいたい遅刻する。
 
 
 


速い石

 
 
 
石はまだまだ、自分は速くなれると思っている。
数年ごとに新しい命令が追加され、その量も年々二倍三倍と増える一方だ。それでも、まだまだ速くなれるはずだと思っている。

石は命令のことを足枷だと思っている。けれど命令が無くなれば、石は用済みとなって砕かれる運命にある。

石は十分に速い。もっと速くなれると思っている。不満で石は赤くなる。
しかしその速さを確認できるのは、命令を片づけている時だけだ。
 
 
 


ミルフィーユ

 
 
 
やらなくてはいけないことばかり。うんざりする。
ちらちらと目に入るのが嫌だから、毛布みたいに、やりたいことで覆う。
やらなくてはならないことは更に降り積もって、また新しい毛布をかける。繰り返す。

本当に不味そうなミルフィーユだ。
バネのついたおもちゃのように跳び上がって、僕は部屋を片づけ始めた。
 
 
 


地蔵

 
 
 
埋め立て地に地蔵が移されてきた。
根っこを失った地蔵からは、かつてのありがたみは消え、その根拠となっていた膨大な時間は、禍々しい空気に変換されてしまった。
 
 
 


朝がきた

 
 
 
激しい後悔をした日は、寝るに限る。
翌朝になれば、あのラジオ体操のテーマ曲が聞こえてくるはずだ。

次の後悔を消化出来る原動力は、あのテーマを生で聞くことによって培われる。生だというのが勘違いでも全然構わない。実際に生でも、録音を匂わせる雰囲気だけで萎えてしまう。

出来れば、隣家から聞こえてくるのがいい。朝食の匂いとセットになっていれば、もっといい。
 
 
 


バラの色

 
 
 
「夢も希望もございません! 人生はバラ色だ! バラ色なんだよ!」

溶鉱炉に飲み込まれながら彼は、あと数秒で切れるこの世との接続を惜しむように、早口で何度も何度も、同じことをまくし立てている。まるで花みたいだ。
みんなでその様子を、じっと見ていた。

花はいい。綺麗だから。
きっと、みんなに見られているから、花は綺麗なのだろう。
 
 
 


プロジェクター

 
 
 
光が当たっているところばかりを見ていたら、目が馴れた。
目は馴れたけど、爪楊枝みたいなカスカスの身体と、その周囲にノッペリと張りついている馴染みきった空気は、まだ光そのものを知らない。

いつだか、たまに会う人から、映画用にプロジェクターとたくさんのスピーカーを購入した話を聞いた。
それを羨ましく聞きつつも、頭の奥に映し出されたのはなぜか、誰もいない客間に放置されたプロジェクターセット一式がホコリをかぶっている静止画だった。

光は窓から、もう開けられないケースの上に差していた。
おおむね正しいその現象に満足しながら、ありもしないその客間でずっと、差す光を見続ける生活を思う。
それも、悪くないと思った。
 
 
 


野暮

 
 
 
あともう少しなのに。あの不自然な飾りさえ付いていなければ、買うのに。
そう言い訳されて、その場に戻される服。
振り返りもせず店を出て帰り道。さっきあったことを思い返す。

考えてみれば自分は、あの不自然な飾りに良く似ていた。
っていうか、そのものだ。
 
 
 


崖っぷちで

 
 
 
崖にいる言葉。崖から突き落とされた言葉。落ちてゆく言葉。流れから切り取られた言葉。
単体になった言葉は、自身が纏っていた意味からやっと解き放たれて、その軸にあるどうしようもなさを道連れに、半分笑顔を浮かべながら落ちてゆく。
 
 
 


月のある晩

 
 
 
「お好きなんですか?」
「いいえ」
「そうですか。でも、どうぞ」
「ありがとうございます」

そうしているうちに時間は随分と経ってしまい、やっと椅子から立ち上がる頃には、両手はおろか、ポケットからも、全てのものが消えていた。
 
 
 


刻印

 
 
 
いやなことは、肌に悪い。
拒んでも皮膚は記録を続ける。タイプライターのように黒ずみを刻印する。

いくら頭が記憶を封じ込めても、封じた奥にあるナニカは内側からこっそりと指先を伸ばし、深夜のうちに、確実に刻印はおこなわれる。
 
 
 


なんなんだ

 
 
 
ある特定の台詞を言わないようにすることで、彼は子供をつくることに成功した。
僕の子供はまだいない。

「だから、なんなんだよ」
僕がそう言うと、彼は答えた。

「その台詞を言わないようにしてきたんだ」
 
 
 


ビーズ

 
 
 
透明な板に拒絶された。
そんな時、光はいつも内側から出る。

その弱い光が、足下の砂利を照らした。
気が付くと砂利だと思っていたそれらは、透明なビーズだった。
急いで拾い集める。
 
 
 


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