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別れ

 
毎日見慣れた役場の脇のイチョウの木、
でこぼこした用水路脇のアスファルト、
煉瓦を敷いた夕方の歩道、
通りを横切る自転車と、楽しそうに歩く学生服。

コンビニの店員、いつも曲がる角にある古い木で出来たゴミ収集所、
コンクリートの外壁に囲まれたお寺、ピカピカのカーブミラー、
次の角にある家で飼っている犬に、勝手につけたあだ名。

マンションの入り口、2段しかない階段、
エレベーターのスイッチを押すまでの数秒間。

玄関で迎える笑顔、仏頂面、なんともない顔。
おかえりを言う日と言わない日、

彼の家族だ。

玄関の手作り表札、壁に飾られた似顔絵、
結局手伝うはめになったキャラクターものの大きなパズル。
毎日囲んだ木製の四角い食卓。
動物の貯金箱、集合ハンガー、娘のランドセル。
決意のもとに購入したストップウォッチ。

みんな彼のものだ。
みんなこれから、彼がここに置いていくものだ。

よろよろと歩く彼の腰を支えながら、
「無理だけはしないでくださいね」と、控えめを装って何度も何度も言う。
彼はたいして頷かず、言葉の切れ目に入り込むようにして、
「ご忠告、よく覚えておきますね」と、こちらを見ずに言った。

これから彼は、全てのものを置いて遠い遠いところへ行く。

彼は最後にこちらを見て
「なるべく早く帰ってきますから」と、
照れたような笑顔で言った。

もう会えないんじゃないか?

一旦そう思ったけど、かぶりを振って、
僕は玄関を閉めた。
 
 
 


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