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原子力発電所

夕方。国道脇の歩道。
女の子を連れた女性が歩いていた。

女の子は4、5歳くらいだろうか。母親のセーターの裾をしきりに引っ張っている。何かをねだっているのだろうか?
引っ張られる度にセーターの首周りは伸びる。母親の背中が一瞬だけ見えた。

母親は生き物として、子供に「ハツラツとした何か」を養分として分け与えているんだなと実感する時がある。母子間での「ハツラツとした何か」の総量は常に一定で、母親は蓄積したそれを常に我が子に流し込んでいるような感じ。
多分それは体力的なものや教育とも違うだろうし、母乳などの「ほんとに流し込んだもの」とも違う気がする。

相変わらず女の子はセーターの裾を引っ張っていて、母親の背中は何度も覗く。母親は若干イライラした様子。だんだん見ることについての申し訳ない気分が薄れてゆく。それはとても自然な背中だった。

チャンネルを回すと、社長と母親を兼任するスーパーウーマンという人の特集をやっていた。若い母親はとてもハツラツとしていて、その息子も同様にハツラツだった。母子共にツヤツヤな肌の張り。ハツラツを増幅しあっている。母親はこれからもどんどんスーパーなウーマンとして活躍し、息子はそれに見合うスーパーな息子になるのだろう。

文句ナシ。素晴らしいことだきっと。ただ、何か違和感を感じる。妙に言い切れない、根拠が全く無いのに思う「自然じゃないみたいな」感じ。

それは原子力発電所に対して感じるものと、とても似ている。

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